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令和3年7月東榮寺各種活動参加者へ送付した言葉

執筆者の写真: toeijitoeiji

お盆の季節が近づいています。

3回目の緊急事態宣言が何とか終わり、ワクチン接種も当初の予定より遅れながらも進められています。

しかし、まだまだ気を抜くことはできず、東榮寺でも、多くの人が集まる行持は一部自粛を余儀なくされました。

ただ、人が集まる事を自粛してはいますが、儀式としては一切省略せず修行しております。

皆さまのいのちを守る為の措置です。御理解ください。


平常心是道(びょうじょうしんこれどう)

四十年前の話になりますが、私は中学生の時、剣道部に入っていました。試合の時によく心がけた言葉に「平常心(へいじょうしん)」がありました。

「平常心だ!いつもの練習の時と同じ気持ちで臨もう」といった意味だったと思います。その世代の子ども達の憧れの人、巨人軍の王貞治選手も「バッターボックスに平常心で立つ」と言っていた記憶があり、現在でもイチローをはじめ多くのスポーツ選手などが同じような意味で使われている言葉かと思います。

中学を卒業して数年後、この言葉が禅語であり本来の意味は少し違うことを知りました。

この言葉は、元々は中国の馬祖道一禅師が、弟子に示した言葉にあり

「もし直に其の道を会せんと欲せば、平常心是道なり。何をか平常心と謂わん。造作無く是非無く.取捨無く断常無く、凡聖無し」

もし本当にその道(さとり)を会得したいのならば、平常心が道である。何を平常心というかと言えば、何かを為そうというのでも無く、これは善いこと、これは悪いことなどという価値判断もせず、取捨選択というような選り好みもしない。この世界にはいつまでも無くならないような永遠な実体があるとか、もともと何にも無いんだとかいうような固定観念を持たない。また、これは凡人の見方だとか、聖者の見方とかいうものを持たないことを言うのである。

とされています。

また、趙州真際大師が南泉普願禅師に「如何是道」(仏道とはどんなものでしょうか)とたずねたところ、その答えが「平常心是道」でした。趙州はこれを「道」と会得し、「日常の用心」と悟りました。

私達曹洞宗では大本山總持寺を開かれた瑩山禅師が師匠の義介禅師にこの「平常心是道」の意義を問われて

「茶に逢うては茶を喫し、飯に逢うては飯を喫す」と答えたと伝わります。すなわちお茶をいただく時は雑念を交えずそれに徹し、食事のときは食事になりきることというのです。

スマホを見ながらお茶を頂き、テレビを見ながら食事をするといった方もいらっしゃるでしょう。「今を逃すと」「一分一秒でも大事だから」様々理由はあるでしょう。行動でなくても、様々な心配事をしながらお茶をいただき食事をすると言った事もあるでしょう。

そんなに焦らなくても大丈夫です。一つ一つの事に徹してみてください。

人生で迎えるいかなる事にもえり好みをせずに、姿勢を崩さずに徹して対応して行く。もし崩してしまっても、もとに戻そうとする。

新型コロナウィルス感染症についても同じです。

感染予防に心を配るのは大切です、心配しすぎて、心や身体のバランスを崩しては困ります。

これからも感染の波があるでしょう。推奨されている感染予防をちゃんと行い、為すべき事に徹する。

「平常心是道」

もうすこしです。

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