遇一行修一行(一行に遇うて一行を修す)
曹洞宗の道元禅師の『正法眼蔵現成公案』には
「人もし仏道を修証するに、得一法通一法なり、遇一行修一行なり。」
(人がもし仏道を実際に行ずるのは、一つの物事に会えば、そのことに心を注ぎ、一つのなすべきことに会えば、そのことをただひたすらに行うというのです。)とあります。
現代の私たちはこの言葉をどう考えるべきでしょうか。
仏道を人生と置き換えると、それぞれ工夫しながら自身の力を尽くしてひたすらに生活、仕事等にあたるというように意味をとれるでしょう。ただ、健康でバリバリと動けたり、やりたいことに臨めたり、不安を払拭して事に当たれる状況だけではありません。「諸行無常」の人生です。病に罹る事もあるでしょう。大切な方と別れることもあるでしょう。仕事、生活でも思い通りにならないことが沢山あります。
人生で迎えるいかなる事にもえり好みをせずに、淡々と姿勢を崩さずに対応して行く。もし崩してしまっても、もとに戻そうとする。そのような事を私たちに示しているように思います。
この約1年半のコロナ禍、私たちは苦しみの中にいます。辛い事が沢山あると思います。先の見えない不安で時に他人を傷つけたり、配慮の無い行動をとったりしてしまうかもしれません。「遇一行修一行」イラッとしたら深呼吸をしてみます。怒りにまかせた行動をとってしまったら深呼吸をしてその行動を省みましょう。もう少しです。
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